1982年10月26日生まれのサソリ座 O型
1997年7月 原因不明の病気 死を宣告される。摘出手術により骨腫瘍と診断され、闘病生活が始まる。自分に起きる現実から逃避する癖ができる。
2001年 摂食障害になり何年間か食べては吐くの生活になる。体重が最高10㌔減る。
2002年 大学通学中にめまいと動悸からメンタルクリニックに通院。アダルトチルドレンという精神疾患を発症。大学に行けなくなり、1年間留年をする。
2005年 兄が自殺未遂を繰り返して精神病院に入退院を繰り返す。兄のことが理解できなくなり、兄のことで苦しい日々を過ごす。
2006年 5年後に日本が崩壊するようなメッセージ&ビジョンを受け取る。家族や親友に伝えたが誰にも信じてもらえずに苦しい想いをする。(5年後に地震があったので間違いはありませんでした。ご冥福をお祈りします。)
2006年 自分自身と家族のために心理カウンセラーを目指すことを決め、カウンセラー養成所で心理学を勉強する。
2006年6月 兄が自殺をして亡くなる。追い詰められたように家族の仲がさらに苦しい状況になる。亡き兄の霊が毎晩枕元に出てきて眠れなくなり、約1年間不眠症になる。寝られることの有り難さに気づかされる。
人が亡くなっても霊(魂)が存在するという100%確信の体験をし、兄の霊と会話をしながら毎回成仏することを伝える。
2006年10月 プロカウンセラー養成コース初級を終了し、メンタルマネージメント検定第三種に合格をする。児童養護施設の学習ボランティアを1年間続ける。
2007年3月 カウンセラー養成所からお仕事をいただき、市役所の生活総合相談員として就職をする。就職してからも青少年の不登校&ひきこもりを対象とした施設などで自主的にボランティア活動をする。
2007年12月 兄の成仏が気になり、2人の霊能書から有料でアドバイスをいただく。様々な供養を試みるが兄の霊が訴えてでてくるので自分の力で亡き兄の成仏へ導く答えを何とかして探し始める。
2008年1月 突然 真夜中に光の存在から啓示を受け 『宮古島の神々に会いなさい』というメッセージをいただく。私自身 宮古島には20歳から通っていて、神様がいるとは知らずに導かれる。母親の家系は沖縄本島出身
2008年1月 半信半疑ながらも宮古島のことをイロイロとインターネットで調べる。兄の供養&成仏になるのならという想いで宮古島に行くことを決心する。
2008年3月末 役所の仕事のこともあり、家族に反対をされ父親に勘当だと言われながらも退職をして単身宮古島へ旅立つ。
2008年4月 宮古島八重干瀬の祈りに参加をして伊良部島の神人(カミンチュ)を紹介される。その神人(カミンチュ)が経営している伊良部島のホテルで仕事をしながら霊的修行をする。宮古諸島聖地ガイドをまかされ、体験者に起こる数々の奇跡を目の当たりにする。銀色の龍が守護していることを知らされる。
2008年8月 父親が末期のガンであることを伝えられる。宮古島&伊良部島の神様に祈る日々が続く。
2008年12月 父親が亡くなることを伊良部島で聞かされる。すぐさまチケットを取得して大阪に帰省する。
2009年4月 母親から股関節の手術が決定したことを伝えられる。経営方針の不一致とそこから自分自身の体調不良も続いたので、修行を終えて大阪に戻ることを決意する。
2009年6月 伊良部島で知り合った三重県に住むヨガの師匠のもとで本格的なヨガ行を勉強する。三重&滋賀&大阪を行き来しながら短期間では参加することができない資格講習に参加をさせてもらい、10月に日本総合ヨガ普及協会認定の準指導師の資格に合格をする。2012年4月資格更新を辞退。
2009年10月末 沖縄に住む親戚の女性が神ダーリだとわかり、宮古諸島聖地巡礼を一緒にする。そのとき 『月 海 樹』 という文字とビジョンが目の前に浮かび、そのネーミングを自分自身の屋号にする。
2010年1月 『月 海 樹 ~つき うみ いつき~ 』 というネーミング(屋号)と共にカウンセラー&セラピストとして活動を開始。
その後 『月海樹』とは日本各地におられる神様に対して自己紹介をするときの私の名前であり、私の守護存在の名前でもあるということを教えていただく。
2010年1月 ヒーリングスクール設立メンバーの板原悌子さんと板原さんが運営サポートをするセラピスト養成講座で出会う。板原さんと出会ったおかげで霊的能力が一気に開花をする。
2010年2月 初参加のスピマで板原さんからヒーリングスクール設立メンバーの西山あゆみさんを紹介される。このとき初めて西山さんの背後にある天使の翼を霊視する。
2月末 ソロモンヒーリングスクール設立メンバーの奥光一さんと必然的に出会う。奥さんが企画をするクリスタルボール&神道の舞(宮古島で有名な矢加部さん)でのイベントに参加をしたとき、この人に会うために参加したというシンクロを実感する。彼の過去世が走馬灯のように視える。
2010年4月 ソロモンヒーリングスクールを設立して開校する。ヒーリングスクールの校長&講師として活躍をする。龍&アニキのブログにて紹介される。
2010年8月8日 シオンヒーリングアソシエーションに名称を変更する。SIONは、4人の講師の頭文字をとって決める。しかし、自身の体調不良で休止する。
2011年5月末 色んなタイミングが重なり、8年間自分自身の中にあったモヤモヤを受け入れるため 母親に自分がLGBTQ(ゲイ)であるということをカミングアウトをする。
2012年3月11日 カウンセリングルーム 月海樹 ~ つき うみ いつき ~ を東大阪の布施にてオープン。
2012年5月 もう一人の兄が顔面神経麻痺になり、パニック障害、広汎性発達障害と診断され、30代後半で初めて重度の精神障害に認定される。私自身も検査をしたら、2つの病院で発達障害と診断される。
2014年に奈良香芝市、2016年には広陵町に引っ越しする